読書感想文

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vol.30 それでも日本人は「戦争」を選んだ

序章

南北戦争のセリフ「人民の、人民による、人民のための政治」というセリフは、北部による民主統治の正当性の主張、戦意高揚(このセリフが発せられた時はまだ戦争中)、犠牲者の追悼のためのもと発せられた

・戦争は相手の憲法(体制)を攻撃するものである。そのため、戦争後では勝戦国、敗戦国関係なく体制が変わる

・歴史は後世に影響を与える場合がある。例えば、ロシア革命の場合、レーニンは後継者にスターリンを選んだ。(軍事的カリスマを持ったトロツキーを選んだらナポレオンみたいになると危惧)日本の場合、西郷が西南戦争を起こしたことから軍事面の指導者と政治的主導者を分けておくという考えができた。

・ただ、歴史に学んだからといって、それが正解とは限らない。先程の事例の場合、スターリンは後に数百万人規模の虐殺をするし、統帥権独立は軍部の独走を許す形となった。また、もう一つ例をあげるとするなら、米がベトナム戦争にはまった原因は第二次世界対戦における中国喪失がトラウマとなったからと見ている。歴史はしばしば誤用することがあるのでご注意を。 

 

第1章 日清戦争

・当時の列強国は日本や中国で貿易するにあたって商法、民法の制定を求めた。これを不平等条約改正の条件とした

華夷秩序という中国の朝貢体制があった。これにより、華夷秩序内にある国(朝鮮、ベトナム、台湾、琉球など)がその傘に入り、そこに話を通せば良いということになってた。中国はこの秩序を武力に訴えても守ろうとした。

福沢諭吉の脱亜論は日本がアジアの連帯から離れるという意味ではなく、朝鮮に進むなら内部の改革ではなく列強と一緒に迫ると主張。

・そこから、ロシアの代理を清国、イギリスの代理を日本とした構図で朝鮮の独立性という大義のもと戦争が進んでいく。(イギリスが条約改正に応じる要因に。)ロシアは支那まで勢力を伸ばしたく、それをイギリスは良く思わなかった。

・一方国内では、戦争に勝てば植民地のポストができ、藩閥政治に対抗できるとして民派の人も含め戦争に賛成モードに。ただ、勝った後、三国干渉ですぐに遼東半島を返還することになったから、弱い政府を超えるために議会を開設しようとなって普通選挙運動に繋がっていく。

 

第2章 日露戦争

満州事変の根底に日露戦争のことがある。

・陸軍と海軍を同時多発展開するという意味で新しい戦争になった。

・日本としては、朝鮮へのロシアの影響力拡大を阻止するため、ロシアとしては満州の権益を守るための戦争となった。ただ、朝鮮は日本にとって安全保障の観点から重要な拠点ではあったが、それでは対外的な応援が得られないので、ともかく、満州の門戸解放が一義的となった。

・この戦争は日本は厭戦的ではあったし、積極的だったのはロシア側としている。

・この戦争が日本が勝利できたのは、中国からの協力を得られたからだと見ている。中国は、ロシアが中国の積極的関与をしてくるのを嫌がっていたので、市民レベルで諜報活動が為された。

・この戦争で日本の政治は大きく変わることになる。戦争の財源確保のため、税を上げて、戦後も維持した結果、選挙権を得る人、被選挙権を得る人が爆発的に増えた。そのため、政治家となるのが地主に留まらず実業家まで広がっていく。

 

第3章 第一次世界大戦

・日本はかなり強引に参戦。一応日英同盟の規約を理由に参戦したが、イギリスは参戦を拒否していた。日本としては、太平洋諸島や山東半島などのドイツ領を狙う目的があった。(安全保障上の観点や北京攻略など)イギリスは中国の貿易を守るため、日本が中国に影響力を持ちすぎることを嫌った。

・この参戦をする上で米の間で覚書が交わされるが、これが後に露見し、日本の主権への侵害として反発を招くことに。対戦中で連合国同士とは言え、日本・イギリス・アメリカの仲が怪しくなっていった。

・米もまた、ウォー・スケアという東洋人への差別意識国際連盟への加入を目指すウィルソン大統領への批判として日本の植民地支配があげられるなど険悪ムードに。

・この戦争中に朝鮮で三・一独立運動が発生。日本の植民地支配がうまくいってないことが表に出た。(→この国に委任統治権を与えて大丈夫か?)

・この時期に関東大震災が発生。このことで第一次世界大戦で日本の損害が少なかったとは言え、戦争による惨状を視覚的に確認する機会となり、国民の意識が変化することに。

パリ講和会議は空前の外交戦に。アメリカに対して莫大な戦債を追ったフランスやイギリスは米の後ろでドイツからできるだけ多くの賠償金を取ろうと躍起に。日本は中国と山東半島の帰属について。

 

第4章 満州事変と日中戦争

満州事変は数年前から石原を中心に計画されて起こされたものだった。

清朝ロシア帝国が崩壊した結果、日露戦争で締結された条約の解釈をめぐる問題で違いが明らかに。

・日本としては、国民には条約で日本が獲得した中国の利益が守られてないから引き起こされる戦争。軍部としては、将来の戦争に向け、満蒙が資源として必要ということで勧められた。

・その頃、軍部は絶大な力を得始めることに。十月事件や五・一五事件など陸軍の右翼によるクーデター事件により、内閣が弱腰に。また、三・一五事件や四・一六事件などによる戦争反対派の共産党員の大量検挙なども後押しに

・また、普通選挙法で25歳以上の男子に選挙権が与えられる中、農村漁村の疲弊の回復を軍部が訴える。これは、軍が戦争のため強固な国民組織を作ろうとしたものであり、結果、軍部に人気がでる。

満州事変後は内田外交による強行姿勢で中国を妥協を目指すなか、中国は連盟に訴えることに。リットン調査団などが動くなか、海軍の上海事件、その解決中に起きた熱河作戦(日本では、満州国関東軍が動いただけと見てたが、国連からすれば満州国は中国の領土なので、日本がまた、敵対行為をしたと感じた。)により、加盟国全てが敵という状況へ。結果日本は脱退する。

・一方、中国では胡適、汪兆民など優れた政治家が出現することに。

 

第5章 太平洋戦争

・戦争に入った直後は意外にも国民の反応が良かったという。確かに、米英との戦力の差が激しいのは国民のレベルまで浸透してはいた。ただ、大和魂を掲げていたり、世界に挑戦するなどの高揚感はあった。

天皇への説明としては、甘いデータだったり、過去の史実を用いた説明だったり。

・各国の動きについて。

日本→中国と戦争しつつも物資を求めるために南方へ進出。ソ連は米英への自由主義、資本主義に反対して同盟国側に来るかもと思っていた。

ソ連→ドイツの侵攻に対して応戦。中国(国民政府)への支援

英→対ドイツ戦をしつつもアメリカに応援要請

米→戦争準備をするための準備へ。ソ連を元気付けるため日本の資産凍結、武器輸出禁止などをする

ドイツ→中国やソ連共産主義の台頭に危機感。中国の貿易を切り日本に肩入れ

中国→日本へ対抗。ただ、ボロボロになりながらも、以前までのドイツとの貿易や連合国からの支援で好戦する。アメリカに応援要請。

・日本はいかんせん、戦争のノウハウが無さすぎた。日本人が捕虜となる文化がなかったため、戦争中に獲得した捕虜へ虐待をしたり、食料(決して意識してはなかったけど)も生産能力がガタ落ちすることに(農業的なノウハウを持った人も徴用したため)。

満州の移民に対しても、満州の移民が嫌悪されるようになってから、政府による補助金交付金地方自治体が得られるようになり移民者を競うようになった。なんか今と似てる。結果として満州の引き上げ過程で多くの死者が出るように。