読書感想文

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vol.31 ミッションスクールになぜ美人が多いのか

井上章一 郭南燕 川村信三 共著

朝日新聞出版

 

プロテスタント校から読者モデルの排出率は高い。カトリック系は厳しいこともあり、校名の公表をしない傾向がある。

早稲田大学建学の大隈重信慶應義塾大学建学の福澤諭吉は、キリスト教の信者とまではいかなかったが、深い尊敬や理解があり、その人物像を形成する上で多大な影響力があった。

・しばしば、キリスト教の日本の受け入れにおいては弾圧や禁教などの不遇な面が強調されがちだが、文化レベルでの浸透力や、キリスト教のイメージなどにおいては優越しており、日本で一番成功した宗教といっても過言でもない。結婚式とかも。

・特に皇室にまで関わっていることが特筆すべき点である。皇室にいるありとあらゆる関係者がミッションスクールに通っている。

・小学校唱歌アメリカ人のキリスト教信者L・W・メーソンが選定に関わっており、賛美歌を基にしたものが多い。蛍の光はメロディが似ている。仰げば尊しは原曲はキリスト教の雰囲気がある。「君が代」もちょっと似ている。

・まず、大まかにキリスト教変容の過程から。明治初期のキリスト教は、禁教されていた。外国はこのころまでに一般社会とキリスト教を巡る戦いは終結していたので、日本は一義的に宗教を受容しない国とみなされていた。この考えが変化するのは日露戦争に勝利した1905年ごろで、キリスト教の受容しないが、文化的な生活は取り入れようとなり、キリスト教−宗教=クリスマスとなった。また、日露戦争に勝利して浮かれていたこともあり、クリスマスは華やかに祝われるように。(ロシアに勝ったことで列強の一員になれたという自負に加え、文化的な生活で追いつかなければならないという気持ちで欧米化を目指すように。)

・宗派ごとに。日本の明治期以降にカトリックとして布教したのはフランス人だった。当時、フランスはフランス革命により、カトリックは大打撃を食らっていたため、日本での戦いを世俗との戦いとして望んでいた。(カトリックは自分たちから見て世俗を対岸にあるものとしてみていた。カトリックは独身制の遵守など戒律は厳しめであることもあいまり、何か異次元の人と思われるように。)

カトリックの宗派は承認を巡る戦いとして「最下層や恵まれない人への支援」というう「慈悲」を尊重した草の根活動を展開した。そのため、キリスト教は「貧者と病人の宗教」という認識が広がった。その後、教育機関をとうした中・上流階級へ力を入れるように。

プロテスタントは早い段階から、教育機関による支援を行なっていた。目標は結婚の介入であり、聖母マリアを理想の母のモデル像にした教育を施した。カトリックとは大違い。

・日本におけるキリスト教観はここに見える。ミッションスクールを形容する3K(金持、可愛い、キリスト教)というのは、明治・大正の富裕層が、自分の娘を俗世から守るために、ミッションスクールに入学させた。学校には、自分の娘をキリスト教の信者にすることは望まないが、キリスト教の精神から(もしくはその体現者である修道女から)躾や訓育がされることを期待した。可愛いというイメージは、キリスト教の崇高さや、敬虔、純白といったイメージからか。

・また、学校側も文部省の訓令や教育勅語などの難局を世間との折り合いや、布教と教育の分離で凌いで今のような形に