読書感想文

読書感想文を書くための私的ブログとなってます。@kansobun_bookでインスタしてます。

vol.36 菊と刀

ルース・ベネディクト著 長谷川松治訳 

講談社学術文庫

第1章 研究課題

・戦争にあたり日本を研究することは苦心した。戦時中のため実地調査が行えない。また、日本を観察すれば観察するほど、矛盾した部分が見えてくる。

・この研究を行うことで、戦争における作戦、戦後の統治などに多いに役立つ。

・日本を研究する際は、文化の比較、在米日本人への聞き取りを中心にした。また、これまでの研究や日本での文化物も多いに参考になった。

・文化を研究する時は精神の強靱さと寛容さを共に兼ね備える必要がある。四海同胞主義といい、人間の心は同じであるという考えがあるが、それぞれの国ごとに文化的にある差別を認め、また、自身の国の常識を持ち込んではいけない。と同時に、自分には確固とした信念を抱えてないといけない。

・そもそもを重要にして、根底を探る事が大事だ。数量的調査は、質的研究を行なって初めて、効用がある。経済行動、宗教的儀式、家族構成、政治の意思決定、など一つ一つの行動は全て何かの根底によって噛み合っているものであり、それぞれに通用するものは何かを見定めなければならない。そのため、日常茶飯事に行われる、見落としがちな行動にこそ焦点を当てるべきである。

 

第2章 戦争中の日本

・日本の戦争原因は「階層社会の樹立」にある。日本はその階層において、それぞれが得るべき「所」を得る事が必要であるとした。

・また、国内ではアメリカの物質主義VS日本の精神主義の戦いであるとした。日本は物流ではアメリカに負けてしまっていることを重々承知しており、それを凌駕するための戦いとした。その精神は、自らが苦しめば苦しむ程磨かれるものであり「死」によって果たされるものとした。日本が無降伏主義をとり、特攻作戦をとったり、捕虜になることを避けたのはこのため。そのため、戦死者と降伏者の比率がエグい。また、捕虜になった時の教育を施されず、食料や医療というものが軽んじられた。連合国もこれを恐れた。

・またこういう見方があるため、日本人が捉えた捕虜の扱いが相当雑に。彼らは、死なずに生き長らえたことで名誉を失った者と見られた。

・日本人から見た天皇も様々な変遷を重ねている。封建社会においては、天皇はいないも同然であり、直属の上司や大名の方が崇拝されていた。それが、ここ数代の間では、かなり崇拝されるようになった。ここが不思議になった点である。軍部上層部や政府に対する批判は見られるが天皇に対する批判は見られない。(特に言論の自由を制限していることに対して批判するものが多かったのを見ると、決して批判をしない人とは考えれない。)ただ、その天皇も「平和を愛する人であった」「戦争を決断された」など、立場や人によって千差万別の見方をしている。

・日本人の行動特性としては、ある行動方針に失敗したら、別の行動方針を取るという事が見て取れる。というのも、西欧の兵士と異なり、俘虜になった日本人は何の抵抗もなく、我々(連合国)の慣習に従い、補給路や武器庫の場所を教えるなど模範的な俘虜になる事が多かった。

 

第3章 各々其ノ所ヲ得

・日本において理解しないといけないことは「各人が自分にふさわしい位置を占める」ということである。(今でいう身分相応)

封建制度においては「定められた地図に従えば、安定と保証が得られる社会」と考察できる。どこの階級においても、制限と保証を同時に認めており、封建社会を押し進める際に有効であった。人は自分が為すべき義務や持った権利を承知しており、これの侵害に対する抗議は受け入れられた。

・例えば、家族制度も例にあがるし、「敬語」の文化からも見える。

・ちなみにアメリカ人は商人が下位に属するのはびっくり。でも封建制度では、力を持たせすぎないという点で合点が行く。

・そのため、裁判も正式に行われたし、階層社会に挑戦した一揆の首謀者は極刑にされながらも、誰も抵抗しなかった。秩序に従順ということである。

・日本が階層社会の特徴は、上の人間が重大な責務を委託された人間として振る舞うということだ。全員に一族(仕組み)の維持・繁栄に腐心する。

・日本は中国の文化的輸入と国内の適応に成功した国であると思う。

性→中国では、地域ごとで制定されたが、日本では高位の人物のみが持つ

神社→中国では地域の先祖さんを祀る。日本では神様。

官僚→中国は国家試験。日本は高位に役職

天皇は神聖首長という点で見られた。要は統治はせず、政治は他人に委託し、自身は宗教的活動のみを行う存在。

・武士は俸禄頼みの生活から質素倹約を美徳とした生活をすることに。また、農民も高い年貢率や賦役から家族数が増えないように。江戸時代は人口が変わらない時代と考察する。

・結局、力を持った商人によって日本の封建制度は崩壊しておく。江戸時代終盤には、庶民から幕府に至るまで債務まみれの状況になる。また、商人は武士に養子を送ることで身分を買え、武士は商人に関係を持つことで経済的に利がある。これより、武士・商人・大名の結束が強まっていく。

 

第4章 明治維新

・日本人は階層社会において、「低い地位でもいいから何か特権を与えよう」という動きが見られる。この制度を他国に輸出しようとする上で天譴にあう。

・例えば、地方自治においても、部落や隣組などで単位を組み、それぞれに為すべきことをして、国からは干渉を受けない組織であった。また、地方自治に対しても行う領域を設定して、それぞれ侵攻しないとした。

・例外としては軍部であり、日本において唯一実力主義を採用し農民でも這い上がれる組織として魅力的だった。この軍部が独走し、また農民に味方をすることで肥大化。また、組織を跨いで意見するのは良くないという美徳から、誰も何も言えない状況に。

・ちなみに、憲法作成は宮内省が行なったが、これも「世間の批判や世論の侵攻を防ぐための措置」だとか。公選議員も意見・批判はできるけど予算の作成、法律の制定ができなかった。

・宗教も、国家としては個人に自由を認めるが、国家神道はしっかりと政府が持っているという状況に。

・成金が嫌われた理由もここにある。富裕層や貴族階級が富を持つのはいいけど、そこから漏れた人が富を持つのは許せないことから。

 

第5章 過去と世間に負い目を感じる者

・日本人は恩を債権・債務関係に感じると見る。この債務は一生を持っても返せないほど膨大なものである。

・特に、目上の知っている人からならまだしも、知らない人だとなおさら困惑する。

・恩を受けた=辱めを受けると解される。かたじけないという言葉にはこうした意味もある。

・また、恩を与えた側もそれを貫き通すための欲望との戦いがある。これを脱するには凡人になるか完全な人にならねばならない。

 

第6者 万分の一の恩も返せない

・日本人の思考の基礎を位置づけているのは「忠」である。天皇は日本国民の象徴と位置づけているが、天皇の発する言葉はある種絶対の意味を持つ。

天皇神聖にして侵すべからずというのはよく考えた仕組み。絶対不変の権力となりながら、政治は行わない。

・西欧では、国をひっくり返すには革命が必要だという考えがあるが、日本では通用しないことを覚えておくべきだ。

・一方、孝というものは日本が恩を感じた時の債権であるが、この孝は様々な意味を含んでおり、時として障害になる場合がある。

 

第7章 「義理ほどつらいものはない」

・日本では義務と並んで義理も重要視される。これは、恩や忠、孝にくらべてもっと嫌がられるもので、世間に対して申し開きならないとされて勤められる。

・ただし、義理を知らない人間という烙印は避けたいとしている。

 

第8章 汚名をすすぐ

・日本人は汚名を着るということを避けたがるため、社会の仕組み的に避けさせるようになっている。結婚の場合は仲介人というものを立てるし、教育現場では絶対評価を軸として相対評価しない。実際、競争という場所に身を置くとパフォーマンスが下がるという実験結果がある。

・万が一、汚名を来た場合、まずは復讐という行為を行うが、現在はなかなかこれを行わない。自己の倦怠感を感じて、自殺をしてしまうということが多い。この死をもって訴えるというのは様々な場において見られる。

・このように義理を汚されたがために自尊心の喪失や自殺と自分に向けることは義理による暗い面だろう。一方、英国の艦隊を見た薩摩・長州が敵対しながらも友好を求めたところを見るに、臨機応変な態度をとることができるのを見るに「義理」にも明るい面がある。 

 

第9章 人情の世界

・「孝」の世界で疲れた日本人は、その疲れを癒すために不倫をすることもある。また、それを世の中が承認する向きがある。

・ただ、不倫をした人間を妻として迎れることはしない。その区別はしっかりしている。それは孝に背くからである。日本では結婚を「子孫を生んで家を存続させるためにすること」であり、純粋に恋愛によって結婚されることはない。むしろ、不倫を真の愛としている。

・また、日常の世界では、温泉や睡眠、食事などが肉体的な享楽として受け入られている。これを抜くこと、反対の行為は「鍛錬」であり、訓練で重要される。

・この情景の世界を自身の中で自身の下位に割り当てることで統制できていると思っている。

 

第10章 徳のジレンマ

・忠・義理・孝の関係性において「忠」は絶対のものであり義理や孝に優先される。

赤穂浪士の例を見るに「義理を知らない人間」というのは日本では汚れたものとして嫌悪される。また、「義理」や「孝」を守るためにそのほかのものに背いた場合は、義理を果たした後で自決(死)を持ってもう一方を果たす。

・人類比較においては「恥の文化」と「罪の文化」の二つに分けられる。恥の文化は外面的な強制力が個人の行動を規制し、恥辱を感じることが悪としている。また死によってそれらは解決される。日本はこっち。罪の文化は宗教など絶対的な判断基準があり、それが個人を規制する。また、罪の告白で軽減され、死んだ後に裁定が成される。

 

第11章 修養

・日本人は「何か特別な訓練することで一人前という風習がある。アスリートや研究者など職種を問わず修練することが強要される。

・ちなみに修養とは自己犠牲や自己抑制をそのようなものとして認識しない努力である。

・特に目指すべき姿は「無我」のように思える。これはヨーガ教や仏教などで上げられる一つの姿である。ただ、日本人が仏教徒やヨーガ教徒とかと問われればそうではなく、あくまで影響を受けているという程度だろう。

・これは「死んだつもりでやってごらん」という言葉に代表される。これにより高いパフォーマンスが発揮されることを考えると普段、いかに自己監督や自己監視を重圧としているか伺える。

 

第12章 子供は学ぶ

・日本人の人生曲線はアメリカのそれとは逆である。子供やお年寄りは自由を許させるが、大人は束縛が多い。

・また、男子と女子では教育から生涯を通じて大きな違いがある。男は家父長制の次にあたり家庭内で大きく権力を持つ。そのため、かなり丁重に扱われ、多少の逸脱は許される。女子はこうした逸脱は長く許されず抑圧され、60を超えてからようやく権力が持てる。

・思うに冒頭ででた二面性は教育の不連続性にある。自由を許された年少期と束縛や要求されることが多い青年期とが相まった結果が複雑な二面性にでる。日本人の評価基準は「期待されてた通りかどうか」でそれぞれの人間の善悪は関係なく、恥をかかないことが第一とされる。

・日本には刀の文化があるが、これは日本人の精神を表しており、身から出た錆を拭うのはもちろん、つねに修養や練達により綺麗に保たなければならならない。ただ、一方で和歌や歌などの遊びに興じる様は菊の優美さのようである。ただ、その優美さを保つための芯(針金)を持たなくてはならない。

・ただ、いろんなしがらみによって苦しんでいる日本人はちょっと可愛そう。

・あと、日本人の文化を変えられないとは思えない。

 

第13章 降伏後の日本

・日本占領のポイントとして

1 日本人は自分の失敗によって得た結果を当然の報いとして受け止め、自分で改革していく。

2 そのため、いかに適切かつ厳格に日本を管理するかが重要となる。もし、過度な管理をしたら辱めを受けたとして反撃される。

3 なにか変えるにしても、過去との連続性を持たせることですっと入れる。逆に全く新しいものには抵抗があるもの。

4 〇〇抜きで圧倒的な成果を挙げるというのが日本人が好む排除の体系。

 

vol.35 本音で生きる

堀江貴文著 SB新書

・他人のこと、世間などに惑わされず自分の本音で生きていこうという内容。

・何か新しいことを始める際に「できない理由」を見つけて躊躇するようではいけない。

・また、やりたいことがあれば家庭やワークライフバランスなどのバランスを取らなくてもいい。

・本音で生きれない理由は「自意識」と「プライド」が原因。小利口で取るに足らないプライドでは何も起こせない。

・やりたいことのために多くの時間を費やすために全ての時間を最適化して多くの時間を創出する。そのためのツールは現代で多く出始めている。

・結論、ノリとやる気があればなんでもできる。それが現代でもある。

 

vol.34 自分を変える読書術

堀紘一著 SB新書

・本を乱読するのは良くない。自分の目指すべき目標を設定してそれに見合った本を読むべきだ。

・冊数目標は若い世代は100冊。それ以外は50冊を目標とすること。(年間)

・読む割合はビジネス書40%、小説30%、それ以外30%で。

・何事も成功するためには運が必要だが、それを掴むもの。もしくは、それを運んでくるための人は読書を通じてやってくる。

・細切の時間で本を読み、累積経験値で戦う。

・これから重要になるのは、学歴ではなく「学習歴」である。

・読書したらレビューをつけてみる。

・生物学、歴史、哲学、軍事学ビジネスパーソンに特に読んでほしいジャンル。

・タイトル詐欺に騙されないよう。

 

 

vol.33 才能の正体

坪田信貴 著 幻冬社出版

・一般論として「あの人は才能がある」「地頭が良い」というのは結果から見た反応に過ぎない。誰にでも才能ある。その才能を尖らすものにしていくためには、継続する事が重要である。

・凡人はWhyで物事を考えるが成功を収める人はHowで考える。

・動機付けは「認知」「情動」「要求」の3ステップを踏む。まず正確に認知する事が才能を見つける第一歩である。

・ビジネスで成功する人は想像力や観察力や洞察力に優れている。

・他責にしない。遅すぎるなんてことはない。

・成功したいなら、一流の人を完コピする。できれば、熱意や配慮を生かしてその人に会ってみる。ただ、完全にコピーはできないので、そこからの差異がオリジナリティーになる。

・スランプに陥った時は基礎の基礎に帰る。

・指導は本来、悪影響を与えるものである。理想の変え方は、その人自身が自ら気付くことである。絶対に指導しているから感謝しろ的な態度を取らないこと。

・フィードバックで効果的なのも、「ここが良い」「ここが悪い」というのではなく、事実だけを述べるというのをやってみる。自分一人では、行動に対する実況をすると良い。

ゲーム理論囚人のジレンマ」より、信頼性や関係構築は組織力を高める一つの要因である。フィードバックも信頼関係がないと「攻撃されている」と受け止められてしまう。

・組織をする上で最優先事項は「目標」目標達成のために美学は不要。

・人を動かすのは「ビジョン」と「大義」人とずれて信頼関係が崩れるのも「ビジョン」と「大義」徹底的に詰めて、共有すること。

・一度でもやると些細な変化に気づく。経験こそ価値あり。

・出会った人に優しくすること。運を運んでくれるのはいつも人。

vol.32 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

山口周著 光文社新社

・経営にはアートの感覚を持ち込む必要がある。VUCAの時代においては、サイエンスやクラフトによるアンサーでは解決できないようになってきた。

・そもそもサイエンスによる回答ばっかりになると正解のコモディティ化になってしまう。そこで生き残るのは、スピード・安価なものであるが、これは労働者の疲弊に繋がってしまう。

・ただ、アートは抽象的で説得力がないため、クラフトやサイエンスと戦わせると辛い。理想はCEOにアートを置き、その人がクラフトやサイエンスとして司どる人をCCOやCOOとして指名する。

・例としてwalkmanはアートの考えから成功を収めたし、マツダはデザインとして高い評価を受け黒字化していった。

・日本は美意識が高いと見て問題ない。様々な人の文献から。

オウム真理教は修行をするば上のステージ行けるというシステムが偏差値の高いエリートの心を掴んだ。コンサルティングもそんな感じがする。

・彼らは美意識がないと思う。修行の場としたプレハブも然り。文学作品に親しみがなかった。

・現在の市場は自己実現要求の達成市場と言える。マックとかがそう。ここに日本人が持っている美意識が大きく作用すると思う。

・エリートはシステムにうまく適用し大きな利益を得ているからシステムの構造改革をしずらいと思う。ただ、その先にはコンプライアンス違反になることがあったり、アイヒマンのようにシステムを無反応に受け入れて悪事を行うこともあり得る。「真・善・美」の物差しを自分の内側にもち、相対化していくことが重要だ。

・美意識を鍛えるためには、VTSや哲学、文学、芸術によって鍛えられる。

基本法律は後出しで来るもの。実定法主義な考えだと「今ある法律さえ守ればいい」となる。大事なのは、自然法的な考え

vol.31 ミッションスクールになぜ美人が多いのか

井上章一 郭南燕 川村信三 共著

朝日新聞出版

 

プロテスタント校から読者モデルの排出率は高い。カトリック系は厳しいこともあり、校名の公表をしない傾向がある。

早稲田大学建学の大隈重信慶應義塾大学建学の福澤諭吉は、キリスト教の信者とまではいかなかったが、深い尊敬や理解があり、その人物像を形成する上で多大な影響力があった。

・しばしば、キリスト教の日本の受け入れにおいては弾圧や禁教などの不遇な面が強調されがちだが、文化レベルでの浸透力や、キリスト教のイメージなどにおいては優越しており、日本で一番成功した宗教といっても過言でもない。結婚式とかも。

・特に皇室にまで関わっていることが特筆すべき点である。皇室にいるありとあらゆる関係者がミッションスクールに通っている。

・小学校唱歌アメリカ人のキリスト教信者L・W・メーソンが選定に関わっており、賛美歌を基にしたものが多い。蛍の光はメロディが似ている。仰げば尊しは原曲はキリスト教の雰囲気がある。「君が代」もちょっと似ている。

・まず、大まかにキリスト教変容の過程から。明治初期のキリスト教は、禁教されていた。外国はこのころまでに一般社会とキリスト教を巡る戦いは終結していたので、日本は一義的に宗教を受容しない国とみなされていた。この考えが変化するのは日露戦争に勝利した1905年ごろで、キリスト教の受容しないが、文化的な生活は取り入れようとなり、キリスト教−宗教=クリスマスとなった。また、日露戦争に勝利して浮かれていたこともあり、クリスマスは華やかに祝われるように。(ロシアに勝ったことで列強の一員になれたという自負に加え、文化的な生活で追いつかなければならないという気持ちで欧米化を目指すように。)

・宗派ごとに。日本の明治期以降にカトリックとして布教したのはフランス人だった。当時、フランスはフランス革命により、カトリックは大打撃を食らっていたため、日本での戦いを世俗との戦いとして望んでいた。(カトリックは自分たちから見て世俗を対岸にあるものとしてみていた。カトリックは独身制の遵守など戒律は厳しめであることもあいまり、何か異次元の人と思われるように。)

カトリックの宗派は承認を巡る戦いとして「最下層や恵まれない人への支援」というう「慈悲」を尊重した草の根活動を展開した。そのため、キリスト教は「貧者と病人の宗教」という認識が広がった。その後、教育機関をとうした中・上流階級へ力を入れるように。

プロテスタントは早い段階から、教育機関による支援を行なっていた。目標は結婚の介入であり、聖母マリアを理想の母のモデル像にした教育を施した。カトリックとは大違い。

・日本におけるキリスト教観はここに見える。ミッションスクールを形容する3K(金持、可愛い、キリスト教)というのは、明治・大正の富裕層が、自分の娘を俗世から守るために、ミッションスクールに入学させた。学校には、自分の娘をキリスト教の信者にすることは望まないが、キリスト教の精神から(もしくはその体現者である修道女から)躾や訓育がされることを期待した。可愛いというイメージは、キリスト教の崇高さや、敬虔、純白といったイメージからか。

・また、学校側も文部省の訓令や教育勅語などの難局を世間との折り合いや、布教と教育の分離で凌いで今のような形に

vol.30 それでも日本人は「戦争」を選んだ

序章

南北戦争のセリフ「人民の、人民による、人民のための政治」というセリフは、北部による民主統治の正当性の主張、戦意高揚(このセリフが発せられた時はまだ戦争中)、犠牲者の追悼のためのもと発せられた

・戦争は相手の憲法(体制)を攻撃するものである。そのため、戦争後では勝戦国、敗戦国関係なく体制が変わる

・歴史は後世に影響を与える場合がある。例えば、ロシア革命の場合、レーニンは後継者にスターリンを選んだ。(軍事的カリスマを持ったトロツキーを選んだらナポレオンみたいになると危惧)日本の場合、西郷が西南戦争を起こしたことから軍事面の指導者と政治的主導者を分けておくという考えができた。

・ただ、歴史に学んだからといって、それが正解とは限らない。先程の事例の場合、スターリンは後に数百万人規模の虐殺をするし、統帥権独立は軍部の独走を許す形となった。また、もう一つ例をあげるとするなら、米がベトナム戦争にはまった原因は第二次世界対戦における中国喪失がトラウマとなったからと見ている。歴史はしばしば誤用することがあるのでご注意を。 

 

第1章 日清戦争

・当時の列強国は日本や中国で貿易するにあたって商法、民法の制定を求めた。これを不平等条約改正の条件とした

華夷秩序という中国の朝貢体制があった。これにより、華夷秩序内にある国(朝鮮、ベトナム、台湾、琉球など)がその傘に入り、そこに話を通せば良いということになってた。中国はこの秩序を武力に訴えても守ろうとした。

福沢諭吉の脱亜論は日本がアジアの連帯から離れるという意味ではなく、朝鮮に進むなら内部の改革ではなく列強と一緒に迫ると主張。

・そこから、ロシアの代理を清国、イギリスの代理を日本とした構図で朝鮮の独立性という大義のもと戦争が進んでいく。(イギリスが条約改正に応じる要因に。)ロシアは支那まで勢力を伸ばしたく、それをイギリスは良く思わなかった。

・一方国内では、戦争に勝てば植民地のポストができ、藩閥政治に対抗できるとして民派の人も含め戦争に賛成モードに。ただ、勝った後、三国干渉ですぐに遼東半島を返還することになったから、弱い政府を超えるために議会を開設しようとなって普通選挙運動に繋がっていく。

 

第2章 日露戦争

満州事変の根底に日露戦争のことがある。

・陸軍と海軍を同時多発展開するという意味で新しい戦争になった。

・日本としては、朝鮮へのロシアの影響力拡大を阻止するため、ロシアとしては満州の権益を守るための戦争となった。ただ、朝鮮は日本にとって安全保障の観点から重要な拠点ではあったが、それでは対外的な応援が得られないので、ともかく、満州の門戸解放が一義的となった。

・この戦争は日本は厭戦的ではあったし、積極的だったのはロシア側としている。

・この戦争が日本が勝利できたのは、中国からの協力を得られたからだと見ている。中国は、ロシアが中国の積極的関与をしてくるのを嫌がっていたので、市民レベルで諜報活動が為された。

・この戦争で日本の政治は大きく変わることになる。戦争の財源確保のため、税を上げて、戦後も維持した結果、選挙権を得る人、被選挙権を得る人が爆発的に増えた。そのため、政治家となるのが地主に留まらず実業家まで広がっていく。

 

第3章 第一次世界大戦

・日本はかなり強引に参戦。一応日英同盟の規約を理由に参戦したが、イギリスは参戦を拒否していた。日本としては、太平洋諸島や山東半島などのドイツ領を狙う目的があった。(安全保障上の観点や北京攻略など)イギリスは中国の貿易を守るため、日本が中国に影響力を持ちすぎることを嫌った。

・この参戦をする上で米の間で覚書が交わされるが、これが後に露見し、日本の主権への侵害として反発を招くことに。対戦中で連合国同士とは言え、日本・イギリス・アメリカの仲が怪しくなっていった。

・米もまた、ウォー・スケアという東洋人への差別意識国際連盟への加入を目指すウィルソン大統領への批判として日本の植民地支配があげられるなど険悪ムードに。

・この戦争中に朝鮮で三・一独立運動が発生。日本の植民地支配がうまくいってないことが表に出た。(→この国に委任統治権を与えて大丈夫か?)

・この時期に関東大震災が発生。このことで第一次世界大戦で日本の損害が少なかったとは言え、戦争による惨状を視覚的に確認する機会となり、国民の意識が変化することに。

パリ講和会議は空前の外交戦に。アメリカに対して莫大な戦債を追ったフランスやイギリスは米の後ろでドイツからできるだけ多くの賠償金を取ろうと躍起に。日本は中国と山東半島の帰属について。

 

第4章 満州事変と日中戦争

満州事変は数年前から石原を中心に計画されて起こされたものだった。

清朝ロシア帝国が崩壊した結果、日露戦争で締結された条約の解釈をめぐる問題で違いが明らかに。

・日本としては、国民には条約で日本が獲得した中国の利益が守られてないから引き起こされる戦争。軍部としては、将来の戦争に向け、満蒙が資源として必要ということで勧められた。

・その頃、軍部は絶大な力を得始めることに。十月事件や五・一五事件など陸軍の右翼によるクーデター事件により、内閣が弱腰に。また、三・一五事件や四・一六事件などによる戦争反対派の共産党員の大量検挙なども後押しに

・また、普通選挙法で25歳以上の男子に選挙権が与えられる中、農村漁村の疲弊の回復を軍部が訴える。これは、軍が戦争のため強固な国民組織を作ろうとしたものであり、結果、軍部に人気がでる。

満州事変後は内田外交による強行姿勢で中国を妥協を目指すなか、中国は連盟に訴えることに。リットン調査団などが動くなか、海軍の上海事件、その解決中に起きた熱河作戦(日本では、満州国関東軍が動いただけと見てたが、国連からすれば満州国は中国の領土なので、日本がまた、敵対行為をしたと感じた。)により、加盟国全てが敵という状況へ。結果日本は脱退する。

・一方、中国では胡適、汪兆民など優れた政治家が出現することに。

 

第5章 太平洋戦争

・戦争に入った直後は意外にも国民の反応が良かったという。確かに、米英との戦力の差が激しいのは国民のレベルまで浸透してはいた。ただ、大和魂を掲げていたり、世界に挑戦するなどの高揚感はあった。

天皇への説明としては、甘いデータだったり、過去の史実を用いた説明だったり。

・各国の動きについて。

日本→中国と戦争しつつも物資を求めるために南方へ進出。ソ連は米英への自由主義、資本主義に反対して同盟国側に来るかもと思っていた。

ソ連→ドイツの侵攻に対して応戦。中国(国民政府)への支援

英→対ドイツ戦をしつつもアメリカに応援要請

米→戦争準備をするための準備へ。ソ連を元気付けるため日本の資産凍結、武器輸出禁止などをする

ドイツ→中国やソ連共産主義の台頭に危機感。中国の貿易を切り日本に肩入れ

中国→日本へ対抗。ただ、ボロボロになりながらも、以前までのドイツとの貿易や連合国からの支援で好戦する。アメリカに応援要請。

・日本はいかんせん、戦争のノウハウが無さすぎた。日本人が捕虜となる文化がなかったため、戦争中に獲得した捕虜へ虐待をしたり、食料(決して意識してはなかったけど)も生産能力がガタ落ちすることに(農業的なノウハウを持った人も徴用したため)。

満州の移民に対しても、満州の移民が嫌悪されるようになってから、政府による補助金交付金地方自治体が得られるようになり移民者を競うようになった。なんか今と似てる。結果として満州の引き上げ過程で多くの死者が出るように。